カテゴリ:ギタリスト列伝( 39 )
魅惑のT・レクスタシー!
●マーク・ボラン(Marc Bolan)
●1947年9月30日生まれ~1977年9月16日死去 イギリス出身


b0054129_23293728.jpgデヴィッド・ボウイと並ぶグラム・ロックの華、マーク・ボランは1947年9月30日、イースト・ロンドンの病院にて誕生する。
本名はマーク・フェルド。
チャック・ベリーやエディ・コクラン等の影響でロックに魅せられ、9歳の時に母親からギターを買ってもらったのを機に、さらにロックにのめり込んで行く。
ちなみに最初に手にしたのは8歳の時に父親から買ってもらったドラムだったようです。
12歳の時に初めてバンドを組み(この時はベースを担当)、そして15歳の時になると自主制作盤を売り込みに行くも上手く行かず、傷心のままフランスでの放浪生活をしながらチャンスを待っていた。
65年についにレコード会社と契約し、マーク・ボーランドの芸名でデビュー。
しかし、これまた上手く行かず、その後、ジョンズ・チルドレンを経て、68年に”ティラノザウルス・レックス”を結成する。
その後、名前を”T・レックス”と短縮し、エレクトリック色を増したバンドとなってからは次々とヒットを飛ばし、グラム・ロック・ブームを巻き起こすほどの人気を得る。
だが、その人気も73年頃から下降線を辿っていき、77年9月16日、生前マーク・ボランが「30歳になる前に体がバラバラになって死ぬだろう」と口癖のように語っていた通り、30歳の誕生日の2週間前に亡くなってしまう。
原因は自動車の横転により、助手席に乗っていたマークが投げ出され、近くの街路樹に体をぶつけた為で、直接の原因はドラッグによってボロボロになった血管のショックによる破裂となっている。
グラム・スターの最期は自らの予言めいた言葉通りになってしまったのだ。

と、久しぶりにギタリストについて書いてみようと思ったわけですが、なぜよりによって大してギターも上手いくないマーク・ボランを選んだかと言うと、ただ単に私が大好きやからってだけなんですよね。
一番の好きな理由は、強烈なまでにシンプルで覚えやすいギターに乗せたロックのカッコ良さにあるんですけど、それと同時に何もテクニカルでグングン攻めるのだけがロックのカッコ良さじゃないってのをマーク・ボランに教えてもらったような気がしますね。
もちろん楽曲そのものの良さもあるし、マーク特有の人なつっこいヴォーカルも良いです。
やっぱりマーク・ボランも私の中で重要なヒーローの一人なのだ。

で、ギターの方ですが、やっぱりグラム・ヒーローなだけあってか、ビジュアル面を彩る道具の一つと捉えてるのかどうかは分からんが、とにかく色んなギターを使用してましたね。
52年製のギブソン・レス・ポールやフライングVなんかは有名で良く使ってましたけど、他にもフェンダー・ストラトキャスターやテレキャスターなどを使用し、シンプル極まりないリフを中心にギターを弾いている。
ジミー・ペイジなんかとは違う意味でのリフ・マスターです。
あと、ステージでのギター・アクションは派手な感じで、そこらへんもポイントが高い。

マークが30歳になる前に死ぬ…ってな事を言ってたのは、フランスで生活をしていた時に出会った魔女が「いずれ大成功を収めるが、そのかわり30歳までに血まみれになって死ぬ」という予言をされたからんなんですけど、まるでホンマにその魔女との契約通りに亡くなってしまったというのは、真意はともかくマーク・ボランって不思議な人やなーと思う。
そういう謎な部分も好きな理由かな。

って、久しぶりのわりにほとんどギターの事を書いてなかったけど、まあええか。
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by sy_rock1009 | 2007-03-12 23:36 | ギタリスト列伝
官能のラテン・ギター
●カルロス・サンタナ(Carlos Santana)
●1947年6月20日生まれ メキシコ出身


b0054129_2143119.jpgキング・オブ・ラテン・ロックとも言えるカルロス・サンタナは、1947年6月20日、メキシコのオウトラン・ド・ナヴァロという街で生まれる。
ヴァイオリン奏者だった父親の奨めもあってか、5歳の時からヴァイオリンを手にするが、8歳の時にロックに影響を受けギターへと転向。
60年代になると家族でサンフランシスコに移住し、この時からロックだけでなく、ブルーズやラテンジャズ、サルサ等に傾倒していく。
その後、サンフランシスコでサンタナ・ブルース・バンドを結成し、ブルーズ中心の活動を行っていくが、マネージャーのアドバイスもありラテン色を出していき、バンド名も”サンタナ”と改める。
そのサンタナを一躍有名にしたのが69年のウッドストックの出演で、全く無名のバンドがこのウッドストックでその名を一気に全米に轟かせました。
さらに70年のアルバム「ABRAXAS」からの「Black Magic Woman」や、76年の「AMIGOS」からの「Europa (Earth's Cry Heaven's Smile)」がシングル・ヒットした事で世界レベルの知名度を獲得。
しばらくは活動ペースが落ちるも、99年には「SUPERNATURAL」で復活。
グラミーで史上最多の9部門を獲得という偉業を成し遂げたこのアルバムに続いて、02年の「SHAMAN」もヒット。
また、ソロ・アルバムも発表しており、現在でもバリバリと活動中です。

と簡単に書きましたが、サンタナのギターで一番の特徴というと、やっぱりあの艶っぽい官能的なラテン・ギターって事になるかと思いますね。
いかにも日本人が好きそうな泣きのギターが、かなり心揺さぶられますね。
フレーズ的には結構似てるものが多くて、悪く言えば同じフレーズを使いまわしてるような部分も実はあったりするんやけど、そんな細かい事は置いといて、やっぱりサンタナの
哀愁ある泣きのギターはカッコイイですよ。
う~ん、やっぱりサンタナ最高!

ここ最近のメイン・ギターはポール・リード・スミスが御馴染みだと思うけど、60年代から
70年代は色んなギターを使ってて、ギブソンのレス・ポールやSG、L6-Sなんかを多く使ってました。
あと、70年代後半からはヤマハSGがメインで、特にサンタナの為に”仏陀”インレイを施したカスタム・モデルが有名であり、人気が高い。
その人気の高さから数量限定で復刻された事もあるぐらいですしね。
でも、このモデルを実際に持ってみると、かなりの重量があって最初はビックリするという罠もあったりなかったり…。
これらのギターとメサ・ブギーのアンプがサンタナの代名詞とも言えるものになっていて、あのスッと抜けたような綺麗な音がサンタナのギターとすぐ分かるものにしてますね。
最近はダンブルのアンプの使用率も高いかな。

あと、サンタナは他のギタリストとの交流や共演が昔から盛んなので、そういう意味で「SUPERNATURAL」「SHAMAN」のようなアルバムを発表したのも全然不思議じゃなく、サンタナにとってはいつもの事ってぐらいの感じかな。
ファンはもちろん、同じミュージシャンからも愛されてるってところでしょうか。

今年はそんな皆から愛される凄いサンタナを生で見る事が出来て幸せでございますよ。

そういえば伝説的なライヴハウス、フィルモアでレコードも出してないサンタナがトリを飾ったという、サンタナの凄さを一番表す有名なエピソードがありましたなー。
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by sy_rock1009 | 2006-09-25 22:44 | ギタリスト列伝
テレキャス命の鬼才、ロイ・ブキャナン
●ロイ・ブキャナン(Roy Buchanan)
●1939年9月23日生まれ~1988年8月14日死去 アメリカ出身


b0054129_23401533.jpg日本ではそんなに知名度がある方じゃなく、ちょっと過小評価されがちな感じもあるが、一度聴いたら忘れられない程の強烈な印象を与えるのが、このロイ・ブキャナンという人なのだ。
1939年9月23日、アーカンソー州のオザークという所で牧師の家庭にて誕生。
(他にも生年月日に色んな説があるようだが、とりあえず私はこの生年月日にしました。)
9歳の時からギターを弾き始め、15歳になる頃にはすでにフル・タイムのプロとして活動を始め出す。
その後、いくつかのバンドを経て、カナダではロニー・ホーキンスのホークスにも在籍する。
ちなみにホークスってのはボブ・ディランがフォークからエレクトリック化になった際に、そのツアーやレコーディングを支えたバンドで、それが後のザ・バンドとなったバンドである。って、何かややこしい…。
そのザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンに大きく影響を与えたロイ・ブキャナンは、ついに72年、メジャー・デビューを果たすことになる。
名曲「The Messiah Will Come Again」を筆頭に、伝説的な名演を残し、80年代には音楽ビジネスに嫌気がさし、少し業界から身を引いていたが、85年に復活。
その後も充実した活動を送っていたと思った88年に、泥酔しているところを保護され、収容された……う~ん、続きは各々、調べて下さい…。
オイラには書けない!

とにかく最期は残念というか「何でやねん?」というか複雑ではあるけど、それでもロイ・ブキャナンという人のギターは凄いもんがある。
特にロイの代名詞であるピッキング・ハーモニクスやトーンを駆使したワウ奏法は、この人が編み出した奏法で、他にも色んな奏法が出来るほどギターが上手い人である。
ジャンルも基本的にはブルーズ系ですけど、カントリーからジャズ、ハード・ロックっぽいものまでなんでもやってしまう。
こだわりがないと言えばそれまでやけど、この人のプレイはそれだけ多才だという証拠でもありますね。
ハッキリ言ってギターの常識をこの人は変えました。

メイン・ギターはもちろんフェンダー・テレキャスターで、このギターで色んなフレーズを叩き込んできました。
というか変態的なまでのフレーズを。
聴いた事がある人なら分かるが、普通はテレキャスターであんな音なんて出せませんよ。
強烈に咽び泣くギターから、アーミング・プレイのようなグワーンとした変わった音までとにかく凄くて、ひょっとしたら初めて聴く人ならビックリする以上に笑ってしまうかも?
それぐらい色々と弾きこなせるんですよね。
やっぱこの人のギターはスゲーわ。
それと他にもギブソンのレス・ポール・カスタムやスタンダードも使用してた事もある。

ジェフ・ベックが名曲「Cause We've Ended As Lovers」をロイに捧げて、ロイはそのお返しに「My Friend Jeff」という曲を捧げたというエピソードは有名やし、ブライアン・ジョーンズの後任としてストーンズに誘われたが「ガラじゃないから」(確かにガラじゃない!)と言って断ったのも有名やし、他にもクラプトンやロビー・ロバートソン、ジェリー・ガルシアなど色んなミュージシャンに影響を与えまくったロイ・ブキャナン。
プレイは器用に何でも弾きこなしたけども、生き方は不器用だったロイ・ブキャナン。
それでも偉大なギタリストに違いないロイ・ブキャナン。

「The Messiah Will Come Again」の咽び泣くギターで泣きましょう!

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by sy_rock1009 | 2006-08-20 23:53 | ギタリスト列伝
神童、ニール・ショーン
●ニール・ショーン(Neal Schon)
●1954年2月27日生まれ アメリカ出身


b0054129_22501330.jpg1954年2月27日、オクラホマ近郊の空軍基地で生まれたニール・ショーン。
5歳の時から楽器に触れ始め、早くからロックに目覚めたようですが、最も影響を受けたのがやっぱりこの人もジミ・ヘンドリックスで、他にエリック・クラプトンやジェフ・ベックからも強い影響を受けている。
弱冠17歳であのサンタナに参加し、カルロス・サンタナをして”自分とはまた違う素晴らしいスタイルを持ったギタリスト”と言わしめたほど、若くして才能を発揮。
そこで2枚のアルバムに参加後サンタナを脱退し、しばらくセッションを中心に活動していたが、ニール・ショーンの才能にベタ惚れしていた当時のマネージメント・オフィスのバックアップもあって、念願であった自己のバンド結成を実現。
それがジャーニーへと発展するのだ。
ビッグ・ヒットをいくつも送り出し、80年代のアメリカを代表するバンドになったジャーニーだが、87年に活動を休止。
以降はソロ、バッド・イングリッシュやハードラインなどバンドとしての活動を行っていく。
だが、96年にジャーニーを再結成し、看板ヴォーカリストのスティーヴ・ペリーの脱退などメンバー交代がありながらもジャーニー継続宣言をする。
その後もニール・ショーンはジャーニーとして、またソロとしての活動を続けております。

10代でカルロス・サンタナに負けず劣らずのプレイを繰り広げたニール・ショーンは、まさに天才とも言える存在で”神童”なんて呼ばれ方もしたりします。
それぐらいこの人のギター・テクニックは抜群で、センスが良いんですよね。
何て言うか爽快なドライブ・サウンドで、耳に心地よく残るようなフレーズが特徴で、とにかく音が艶っぽいのだ。
もちろん速弾きも素晴らしいし、ピッキング・ダイナミクスが絶妙なアコースティックでのプレイも最高で、オールマイティーに弾きこなす。
ホンマ、素晴らしいギタリストでございますよ。
私も結構な影響を受けて、ニール・ショーンのサステインの効かせたフレージングをマネしようとした時期もありました。
ニール・ショーンほどの伸びのある音は出せませんでしたけどね…。

ニール・ショーンの代表的な使用ギターは、まずはドメンゲット・カスタム。
そしてカルロス・サンタナが使用している事でもおなじみのポール・リード・スミス・カスタム、この2本が特に有名かな。
あと、アリアのニール・ショーン・モデルとして出した”PEシリーズ”も有名。
それとサンタナ時代には68年製のギブソン・レス・ポールを使用してた時期もある。
まあ、とにかく色んなギターを操り、どんな楽曲にも対応できるだけのテクニックを持った、素晴らしいギタリストなのだ。
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by sy_rock1009 | 2006-07-17 22:59 | ギタリスト列伝
ロックの荒神
●ピート・タウンゼント(Pete Townshend)
●1945年5月19日生まれ イギリス出身


b0054129_2310784.jpg60年代の初期から中期はビートルズ、ストーンズ、キンクス等、重要なバンドが多く誕生したけども、、ザ・フーも問答無用でその中の1つに入りますよね。

って事で、そのザ・フーのギタリスト、ピーター・デニス・ブランフォード・タウンゼントは、父親はサックス・プレイヤー、母親はシンガーという音楽一家のもと、1945年5月19日にロンドンで誕生。
12歳の時に祖母からスペイン製のギターを買ってもらって以来、ロックに夢中になる。
その後、学友のジョン・エントウィッスルとパーティ・バンドを結成し、しばらく活動するが、ジョンは税理事務所に職を得て、またピートはアート・カレッジに進学したため一時期バンド活動を中断。
しかし、同じ学校の顔見知りで退学処分になっていたロジャー・ダルトリーのバンド、ディトゥワーズにジョンが加入した事により、ピートも誘いを受けて、リズム・ギターとして加入。
これがザ・フーの母体となるのだ。
以降、ザ・フーとしてだけでなくソロ、おまけに最近じゃ小説家や脚本家など、マルチに今でもバリバリと頑張っておられます。

ピート・タウンゼントと言ってまず思いつくのが、例の腕をグルグル回す風車奏法や、演奏後におっぱじめるギターの破壊でしょうか。
特にドラマーのキース・ムーンと一緒になって壊しまくる姿は、ちょっとした名物ではあるけども、それにしても暴れすぎである。
そのクセ、いつでもどこでも終始暴れっぱなしのキース・ムーンとは違い、ピートは意外と繊細な部分が多いのも特徴かな。
特に曲作りの面ではそれらが良く出てるように思うよ。
だからロック・オペラ「TOMMY」のようなとんでもない名盤が作れたりするんでしょう。

でも、プレイの面でも結構見どころ聴きどころがこの人にはある。
やっぱまずは歯切れの良いリズム・プレイで、とにかくシャープですね。
このリズム・ギターがないとフーは絶対成り立たない。
それ以外にもルート音を固定しながらトップ・ノートを変えていくコード・リフなんかは有名だし、ジャズ的な速弾きを見せたり、サス・フォーを経過音として挟む事で、複雑な転調をスムーズに行うなど、なかなかプレイヤーとしても奥が深い。
あと、アコースティックのプレイもかなり良いものがある。

使用ギターはキャリアが長いから山ほどあるんだが、リッケンバッカー、ギブソン、フェンダー、グレッチと、あらゆるギターを使っている感じ。
同じフェンダーでもテレキャスター、ストラトキャスター、ジャズマスター、それにクラプトンのシグネイチャー・モデル・ストラトキャスターと、かなり使い分けてます。
やっぱりこの人もこだわり屋さんですね。
そのこだわりは当然他の所にも行くんですけど、中でも今では定番とも言える、マーシャルのスタック・アンプはこの人が作らせたものってのは有名だ。
これらを使って大音量で演奏するのがザ・フーのお決まりで、ファンをキャッチ・ザ・ハートし続けたんだが、その大音量がたたって難聴になってしまった。
う~ん、諸刃の剣…。
それでもブリティッシュ・ロックを語る上で超重要人物の一人なのは間違いない。

あと、デカイお鼻に強烈なコンプレックスを持ってます。
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by sy_rock1009 | 2006-06-25 23:10 | ギタリスト列伝
ウエスト・コーストの才人
●ローウェル・ジョージ(Lowell George)
●1945年4月13日生まれ~1979年6月29日死去 アメリカ出身


b0054129_22562766.jpgローウェル・ジョージは、1945年4月13日、ロサンゼルスにて誕生する。
早くからスタジオで活動を始め、65年に結成したフォーク・ロック風のバンド、ファクトリーを経て、フランク・ザッパのマザーズ・インヴェンションに参加。
この頃には、ギターだけでなくソングライティングでも個性を発揮し、ローウェルを代表する名曲「Willin'」などが生まれている。
しかしドラッグ嫌いのザッパは、明らかにドラッグのことを歌っている「Willin'」を録音しなかった。
だが、同時にローウェルの才能を見抜いていたザッパは彼に自身のバンドを作るように言う。
そして69年にこれらのバンドで知り合ったメンバーらと結成したのが、リトル・フィートというバンドで、
ここらへんのザッパに見出されてリトル・フィートの結成に至ったエピソードはロック・ファンには有名なものですね。
デビュー当初の反応はイマイチだったが、3作目の「DIXIE CHICKEN」から、泥臭さと同時に洗練された味わいが組み合わさったアメリカン・ロックが徐々に受け入れられる。
またプロデュースや他のミュージシャンへのゲスト参加など広い交友関係を持っていくが、ドラッグの影響で体を崩し、1979年にリトル・フィートを脱退。
その後、ソロ・アルバム「THANKS I'LL EAT IT HERE」を発表するが、ツアー中の1979年6月29日、心臓発作のため34歳の若さで亡くなってしまう。

ローウェル・ジョージのギター・プレイでの代名詞というと、当然スライド・ギターですね。
硬質でトリッキー、そしてユニークなスライドは、他のスライドの名手であるデュアン・オールマンやジョニー・ウィンターとは違った良さがあります。
恐らくそういった違いはローウェルがギター以外にもフルートやシタール、それに尺八、
ハーモニカなど、色んな楽器を使いこなすところに影響しているのかも知れませんね。
スライド・バーはジョニー・ウィンターと同じく小指に装着してのプレイとなるが、彼のように残りの左手指もフルに使って、押弦フレーズを随所に織り交ぜるといったものはあまり見せないが、その分、シンプルながら重厚でしなやかなプレイが持ち味。
この持ち味こそがローウェルのギターそのものでしょう。
それとギター・トーンにも特徴があって、フェイザーとコンプレッサーを組み合わせた独特のトーンもローウェルのギターにはなくてはならないものです。
メイン・ギターはフェンダー・ストラトキャスターで、リア・ピックアップをテレキャスターの物に交換したギターを使用し、豪快にスライドを決める。
はっきり言って、それがかなりカッコイイ!

でも、上の写真じゃ分かりにくいが、この人の見た目のおかげで、なぜかコミカルにうつるんだよね。
ポッチャリ(ボッテリ?)した体型にオーバーオール。
ゴッソリとしたヒゲに短い足と、音無しで映像だけ見たらコミック・バンドかと思うような容姿をしてます。
でも、そのギャップが良いってのも事実なんですよね。
見ても聴いても、なかなか楽しめるお人です。
そんなリトル・フィートを一番楽しめるのはスタジオ盤でなくライヴ盤なので、興味ある人は是非ともライヴ盤を薦めます。
ライヴにおいてのピアノとの絡みは、かなり良いものがある。
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by sy_rock1009 | 2006-06-03 00:03 | ギタリスト列伝
LAシーンのスーパー・ギタリスト
●ジョージ・リンチ(George Lynch)
●1954年9月18日生まれ アメリカ出身


b0054129_22174690.jpgカミソリの如き切れ味の鋭いギター・サウンドでLAメタル・シーンを引っ張ったのが、ご存知元ドッケンのスーパー・ギタリスト、ジョージ・リンチである。
1954年9月18日にアメリカ、ワシントンで生まれたジョージ・リンチは、当初エキサイターというバンドで活動していたものの、メジャー進出すら出来ずに、なかなか思うようにいかなかったようだ。
77年にドン・ドッケン率いるドッケンに参加し、83年に「BREAKING THE CHAINS」でデビュー。
念願のメジャー・デビューだったが、思うような成功とまではいかなかった。
しかし、一部では評判になったようで、特にジョージ・リンチのギターは後に同じくLAメタル・シーンを支えたラットのウォーレン・ デ・マルティーニを始めとする当時の若手ギタリスト達に大きく影響を与えたのだ。
またこの少し前に、ランディ・ローズの後任を決める為のオジー・オズボーン・バンドのオーディションを受けていたという逸話も残っている。
ドッケンが本格的にブレイクするのは3枚目の「UNDER LOCK AND KEY」あたりからで、ジョージ・リンチの熱いギターが話題になる。
続くアルバム「BACK FOR THE ATTACK」でスーパー・ギタリストの座を不動のものとするも、ライヴ盤を残してドッケンは解散。
その後、自らのバンド、リンチ・モブを結成したり、95年にはドッケンの再結成への参加に再脱退と、妥協のない活動を行っている。

ジョージ・リンチというギタリストを一言で表現するとなると、まさに”ギターの鬼”という
言葉しか思い浮かびません。
それぐらいこの人のギターにはスゴ味があります。
高い向上心を持ち、常にハードなトレーニングを積んでいるというジョージのテクニカルな
プレイと深みのある表現は、マジで凄い。
特にドッケン時代での独特の切り裂くような切れ味のチョーキングや、速弾きは絶品。
おかげで”カミソリ”なんて表現も当時はされてました。
そんなジョージ・リンチの凄さを表してるのが、ロニー・ジェイムス・ディオの呼び掛けでメタル野郎どもが集まった”ヒア・アンド・エイド”というチャリティ・プロジェクトだと思う。
このあまりに濃いプロジェクトでの曲「Stars」では、途中のギター・ソロ・パートを色んな屈強ギタリスト達が与えられた小節を交代するように弾いて行くんですけど、一番目立ってたのがこの人でしたね。
確かにトータルで一番目立ってたのはイングヴェイだったが、ジョージ・リンチもイングヴェイと同じくらい目立つ激しいプレイを見せていた。
何しろイングヴェイをも超える最多の音数をぶっ込んでましたもんね。
フィンガー・ボードを滑らせる手が、あり得ないぐらいの速さで、それを見た当時の私は凄すぎて爆笑した記憶がある。
さすが日頃の修練の賜物と言える、そんなプレイでした。
ホント、ギターの鬼って感じですよ。
あと、この人は滅多にコーラスに加わらない事で知られているが、ヒア・アンド・エイドでは珍しくコーラスに加わってるという、ある意味ギター・プレイ以上の驚きがあるのも、ここでは見過ごせないポイントであります。

それほどギターに対して情熱のあるジョージ・リンチなんで使用ギターも沢山あるから、
一口にメイン・ギターと言ってもどれが当てはまるのか分からないが、それでも神風という名のESPカスタムなんかは有名な一本でしょうね。
あと、写真にあるスカル・アンド・ボーンズも有名。
とにかく他にも様々なギターを使用して、鬼のようなフレーズを叩き込むのがジョージ・リンチという人なのだ。
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by sy_rock1009 | 2006-05-07 22:26 | ギタリスト列伝
100万ドルのブルーズ・ギタリスト
●ジョニー・ウィンター(Johnny Winter)
●1944年2月23日生まれ アメリカ出身


b0054129_21334314.jpg一旦スイッチが入ると火の玉が出そうな程の熱いフレーズを連射してしまう”ギター・スリンガー”ことジョニー・ウィンターは、1944年2月23日、アメリカはテキサス州で生まれる。
父親は趣味程度ではあるがバンドでサックスをプレイしており、また母親もピアノ教師をしていたという、いわば音楽環境に恵まれた家庭で育ったジョニーは、5歳の時にクラリネットを習い始める。
上達は早く、将来を有望視されるにまでなったが、9歳の時に歯の噛み合わせが悪くなってきたという事でクラリネットを断念。
代わって次に手にしたのはウクレレで、これもすぐに上達していったが、名を成したウクレレ奏者が少ないからという父親の勧めで12歳の時にギターに転向。
15歳の時に弟のエドガー・ウィンターらと共に初めてのバンドを結成し、しばらく活動。
そこから約10年、紆余曲折あった長いキャリアを積んで、各レコード会社の目に止まり、100万ドルの契約金で、69年にようやく「JOHNNY WINTER」でメジャー・デビューを果たすことができるのだ。
ちなにに当時のキャッチ・コピーはこの事から”100万ドルのブルーズ・ギタリスト”となっていたようだが、実際には100万ドルもなかったらしい。
まあ、そんな謎のキャッチ・コピーはともかくデビュー以来、現在に至るまで一貫したブルーズ・ロックをジョニー・ウィンターは表現している。

拷問のような責めと恋人の死で、髪の毛が真っ白になってしまっている主人公の茨木圭介は自ら”ホワイト・ヘアード・デビル”と名乗ってどうたらこうたら…という原作:小池一夫、画:池上遼一による「傷追い人」って漫画があったんですけど、ジョニー・ウィンターを小学校の5年か6年の時に何かの雑誌で初めて見たときは、思わずその漫画の事が頭をよぎった(小学校で何でこんな漫画を知ってたのかは自分でも分からんが…)。
アルビノという先天的な色素欠乏症の為に髪が白いって事を知ったのは、それからだいぶ経っての事であるが、小学校の私の目にはその容姿は衝撃的やった。
そこで興味を持ってジョニー・ウィンターを試しに聴いてみたんですけど、ギターの方も実に衝撃的でしたね。
ワイルドで熱いブルーズ・ロックが、すぐに気に入りましたよ。
当時、私は姉ちゃんの影響でドミノス時代のクラプトンばっかり聴いてたんですけど、クラプトン以外にもこんなブルーズ・ロックを聴かせる人がおったんやーと思った。

まずジョニーの最大の魅力は先ほどから言ってるワイルドで熱いギター・プレイにある。
しかもスイッチが入るとさらに熱くなって、狂ったような速弾きフレーズの連射モードになり、とにかくアグレッシヴなプレイがカッコイイ。
まさに火の玉ジョニー。
それとスライドも、もう一つの特徴ですね。
チューニングはオープンG系とD系の2種類を使用し、押弦フレーズを織り交ぜながらスライドを弾いていくってのがジョニー独特のスライド・プレイだ。
ちなみにスライド・バーは小指に装着している。
それとピッキングはラフなようで、意外と柔軟性があるのも特徴。

それらのプレイに欠かせないジョニーの代名詞的なギターがギブソン・ファイアーバード。
このジョニー+ファイアーバードという姿に憧れた人は多いと思うよ。
他にもギブソン・レス・ポール、レイザー・カスタムなどを主に使用している。
初期の頃はフェンダー・ムスタングやエピフォンのクレストウッドなども使用していた。
アンプはマーシャルを長年に渡って愛用し、ヴォリューム、トレブルは最高にし、ベースは絞りきるといった独特のセッティングでプレイするのがジョニー・ウィンター流である。
70年代の相方であるリック・デリンジャーや、弟エドガーとの共演も含め、とにかくカッコイイ、ブルーズ・ロックを聴かせる人であります。
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by sy_rock1009 | 2006-04-13 22:23 | ギタリスト列伝
メタル・ギター・ヒーロー
●ランディ・ローズ(Randy Rhoads)
●1956年12月6日生まれ~1982年3月19日死去 アメリカ出身


b0054129_20332753.jpg今日が命日であるギタリストと言えば、先ほどの
ポール・コゾフのほかにもう1人いましたね。
それも同じ25歳という若さで亡くなってしまった
ギタリストが…。
その人こそランディ・ローズであります。
1956年12月6日、アメリカはカリフォルニア州
サンンタモニカ生まれ。
母親の影響で6歳の時にギターを手にし、クラシックとフォークを学ぶ。
学びだして1年後ぐらいに、レッスンの先生から「もう教えることはない」とまで言われるほど上達したランディであるが、その後は徐々にロックに目覚めていく。
初のバンド、ヴァイオレット・フォックスを結成した後、75年にクワイエット・ライオットで活動。
78年に日本限定アルバム「QUIET RIOT」「QUIET RIOT II」(79年)を発表するが、パッとした成功を収める事は出来なかった。
だが80年に転機が訪れ、当時、ソロに転向したばっかりだったオジー・オズボーンのバンドに加入して「BLIZZARD OF OZZ」(80年)「DIARY OF A MADMAN」(81年)のレコーディングに参加。
メロディアスかつテクニカルなプレイでエディ・ヴァン・ヘイレンの次に誕生したギター・ヒーローの座を射止める。
しかし、ツアー中の82年3月19日、フロリダに向かう途中、飛行機事故により25歳という若さで不慮の死を遂げてしまう。

メタルが好きな人は当然ながら、それ以外の人にもランディ・ローズは人気がありますね。
私もメタルはあまり聴かないし、オジーは全然好きじゃないけど、ランディ・ローズのプレイは好きで、そのプレイ聴きたさに「BLIZZARD OF OZZ」を聴いた記憶がある。
まず、やっぱりリフがカッコイイ。
「BLIZZARD OF OZZ」に収録されてる「Crazy Train」「Mr. Crowley」といった曲のリフはまさにソレに当たる。
かと思えば元々クラシックの素養があったので、それらを応用させたメロディアスなフレーズもランディの魅力の1つ。
実際、ランディのプレイをバッハに例えられたりもしたし、メタルの域だけに収まらない幅広い素質を持っていましたね。
本人もクラシックへの転向を考えていただけに、ホントに亡くなったのは残念であります。

ランディ・ローズのメイン・ギターはいくつかありますけど、ギブソン・レス・ポール・カスタム、ジャクソンのシグネイチャー・モデル”RR-1”などがある。
そして忘れてならないのが水玉模様のフライングVですね。
ランディのトレードマークであるこのギターを使っての激しいアクションは、まさにギター・ヒーローって感じです。
このギターを手に入れたのは79年の9月で、それ以来愛用している。
あと、クワイエット・ライオット時代はディーンのフライングVを使用してたようだ。
それとギターとは関係ないけど、Nケージ(鉄道模型)を集めていたようです。
ちょっと意外な趣味ですね。
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by sy_rock1009 | 2006-03-19 20:41 | ギタリスト列伝
イカすぜ、泣きのリード!
●ポール・コゾフ(Paul Kossoff)
●1950年9月14日生まれ~1976年3月19日死去 イギリス出身


b0054129_20273318.jpg今日が命日であるポール・コゾフは、1950年9月
14日、イギリスはロンドンで誕生。
ギターを始めたきっかっけは8歳の時に見たトミー・スティールのライヴで、しばらくはクラシック・ギターを学ぶ。
13歳の時からバンド・キャリアをスタート、その2年後、ブルースブレイカーズ時代のエリック・クラプトンのライヴを見て衝撃を受け、ブルーズ・スタイルへと転向する。
ブラック・キャット・ボーンズに一時ではあるが在籍し、その後、シンガーのポール・ロジャースと出会い、バンドの結成を持ちかける。
それが68年に誕生したフリーというバンドだ。
フリーのブルーズとソウルを融合させたハードなロックは最初の方こそあまり大きな評判とはならなかったが、徐々に人気が上がり、70年のシングル「All Right Now」とアルバム「FIRE AND WATER」で一気にブレイク。
コゾフの一音一音に魂の込めた”泣きのギター”はバンドの看板の1つになる。
しかしドラッグ癖が抜けず体が長期のツアーに耐えられないのと、違う活動への欲求もあって、73年に初のソロ作品「BACK STREET CRAWLER」を発表し、同名のバンドを結成するが、やはりドラッグの影響で体調不良のために活動もままならいようになってしまう。
そして、今日と同じ日の76年3月19日、ニューヨークに向かう飛行機の中で25歳という若さで亡くなってしまうのである。

私は当然リアルタイムでポール・コゾフの事は知らないし、本格的に聴いたのも20歳ぐらいの時とコゾフ歴は浅いけど、かなり影響を受けたギタリストの1人でありますね。
それもコゾフの泣きのリードがあまりにカッコよかったからなんだが、良く真似しましたよ。
出来ませんでしたけど…。
やっぱりコゾフと言えばあの泣きが代名詞ですね。
ホント、一音一音に自らの魂を削ってかき鳴らすようなサウンドは、ジャニス・ジョプリンのギター版という感じで、いつ聴いてもゾクゾクしてしまう。
顔も泣き顔で弾いてるし、このあたりもジャニスと似てるし。
むちゃくちゃテクニックがあるって訳でもないし、音数も少ないけど、それらを全てカバーするぐらいの、ありったけの情熱がある。
もう、これで十分じゃないですか。
ほかに何もいらんでしょう。

ギターはミスター・レス・ポールと言っても良いぐらいギブソン・レス・ポールを愛用。
なかでも54、59年製のカスタムや50年代後半のスタンダードなどを好み、他にも数本
所有していたぐらいのレス・ポール・マニアである。
これらのギターを使ってブルージーな泣きを聴かせるのが、コゾフのスタイルなのだ。
ホント、惜しい人を亡くしました…。
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by sy_rock1009 | 2006-03-19 20:32 | ギタリスト列伝